ララランド・セッションの感想

次の段落からネタバレを含みます。
ララランド観て来ました。
チャゼル監督のジャズをテーマにした新作です。
前作「セッション」も、ジャズをテーマにした映画でした。セッションでは、音楽の名門学校に入学したジャズ好きの勘違い小僧が、スパルタ教師の下で成長し、カリスマジャズドラマーとしての片鱗を見せ始めるところまでを描いた作品で、制作費の10倍の利益を叩き出す大ヒットとなりました。
最新作のララランドにも注目が集まり、期待値高まりすぎによるララランド低評価が起きているような気がします。
ララランド自体は面白いです。セッションと比べてしまうと確かに思うところがありますけど。

配給元も前作セッションを高く評価したのでしょう。だから最新作は大々的な広告が行われたのだと思います。
セッションを4/5点とすれば、ララランドは3/5点といったところではないでしょうか。
ララランドでは、ミュージカル調に挑戦していることもあり、歌と踊りから監督が伝えたい想いを探ることが面倒な方には、多少取っ付きにくい映画に仕上がった感があるように思います。
ダンスも特別に凄いかどうかと言われたら ん~!と思いたくなる気持ちもありました。
劇中、歌の歌詞に集中すればいいのか、ダンスがミソなのか、それとも現実を超えた二人の妄想モード全開な空を泳いだりする映像なのか、あと2回くらい見ないと謎のシーンについて理解できません。

誤解を与えたくないので再度言いますが、ララランドは面白いです。
ミュージカル調からドラマ調に映画が変化していった時代も、当時の観客の方は私と似たような感覚を覚えたのかもしれません。”なんだかわからないが新しい映画を見た!”みたいな。

セッションもララランドも、主人公はジャズが好きという設定が共通です。
セリフにも共通点が多く、ジャズの人気が下火になっていく現代の危機感、喪失感、主人公のジャズ愛、ジャズの素晴らしさが、それぞれ別の角度から描かれています。
抽象度を上げて両作品を捉えると、傾斜産業で不遇な目にあっても自分の意思を貫く熱い人たちを描いています。
チャゼル監督のジャズ愛と意思を貫く人への尊敬が垣間見えます。

セッションでは、実在したらしいカリスマドラマーの半生を、主人公に追体験させる感じで描かれています。
映画を見た後には、”そのカリスマドラマーとやらもカリスマと呼ばれるようになるまでに、映画の主人公と似たようなストレスにさらされたのでは?”と観客に思わせる、監督の演出の旨さがあるように思います。他にも細かい見どころがいっぱいです。

ララランドは、大切なシーンはミュージカル調になっています。15分に一回くらいは主人公とヒロインが歌って踊って空も泳ぎます。
もう一人をヒロインとして捉えていいのか、主人公が二人いると考えるほうが自然なのかわかりませんが、ここではヒロインとして扱います。
セッションもララランドも、ジャズの世界での成功を夢見る若者が主人公ですが、ララランドでは、ヒロイン役のミアも女優としての成功を夢見ており、
セッションが、孤独とポジション争いと仁義なきスパルタ教師からのハラスメントの中での葛藤と成長を描いたのに対し、
ララランドの主人公は孤独ではなく、
ミアという女優を目指すパートナーと一緒にお互いの成功を夢見ています。
セッションでいうところのスパルタ教師のような指南役やおいしい公演の機会はありません。
助言や援助も期待できない分、セッションよりも厳しい現実の世界を描こうとしたのかもしれません。
ララランドの主人公セブ(ライアン・ゴズリング)も、ヒロインのミア(エマ・ストーン)も、最終的には自分の成功を達成するのですが、当時思い描いた成功という形ではないところがこの映画の見どころかと思います。
ラストで、話は5年後に飛びます。
ミアは、女優として成功しているのですが、パートナーはセブではなく、イタリア系イケメン大富豪と結婚していて、子供を授かって幸せそうに暮らしています。
セブはゴージャスなジャズ・バーを成功させて自分の演奏で観客を楽しませています。
ミアが旦那とセブのジャズバーを訪れます。ミアはセブのバーだと知らずに入り、壇上のセブを発見します。セブも客席のミアと旦那を発見します。
セブはミアと付き合っていた当時によく弾いていた思い出の曲を弾きます。
セブの妄想と捉えることができる映像が流れます。
セブとミアが結婚して子供を授かって、幸せそうに暮らす映像が。
セブは、ミアへの思いをこの曲で伝えているんだろうなと思いました。
つまり、最初はセブが考えたセブの妄想だと捉えました。ミアは男を作ってどっかいったアバズレだと思っていたので、セブの妄想なんだろうと。だから悲しい感じに聴こえました。

でも、幸せな妄想映像は、ミアとの共有映像だったんでしょうね。セブの弾く曲を聞いて二人の本来の姿を思ったのでしょう。本当はお互いが映像のような未来を描いていたはずなのに、どこかでなんかがあったんでしょうね。
このどこかでなんかあった感が、現実的で有り得そうで切ないです。

曲の終わりにセブとミアが笑顔でお互いの状況を理解し合う様子が大人だな~と思いました。
ジャズ的?といっていいのかわかりませんが言葉なくして理解し合うかつてのパートナー同士が素敵でした。

ということで、ララランドで伝えたいことは、努力は報われるということと、人生思い通りにはいかないけどもそれもまた良し、ってことの2点なのかな~と思います。

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