MGS5TPP_クワイエットはスナイパーウルフ?説を検証する。メタルギア・ソリッド1と5について
アクションゲームというと、映画ランボーのような、筋肉マッチョな軍人がマシンガンやロケットランチャーをぶっぱなす映像を想像するかもしれませんが、
MGSはその要素を最小限に抑え、
ストーリーに国際情勢・政治・科学技術・そして生き方に関する鋭い考察を混ぜていることが特色であり、
MGSが子供だけでなく私のようなアラサー世代にも支持されている理由の一つかと思います。
特に登場するキャラ一人ひとりに、
クライマックスまで到底気づくことができない行動の目的・過去・人生観が論理的に構成されており、
平和な日本で暮らす男性諸君にとっては、
「今まで正義のヒーローに成りきって敵を排除し物語を進めてきたけど、本当の悪党なんてこの世にいるのかな?」という
深い洞察を得られる貴重な機会になっているのではないでしょうか。
監督は、当時無名の若き小島秀夫監督です。
映画監督を目指していたそうですが、夢やぶれてゲーム制作会社のコナミに入社し、その後アクションゲーム開発においてその名を世界に知らしめた方です。
また、ゲーム業界全体の地位を高めた方としても知られます。
映画でしかできないと思っていたことが、ハードウェアの発展(初代プレステ)により、ゲームでもできるようになった、と過去に語っています。
映画でしかできないと思っていたことが、ハードウェアの発展(初代プレステ)により、ゲームでもできるようになった、と過去に語っています。
コナミの執行役員を務めた後に同じ開発チームの面々と独立し、
現在は、ウォーキングデッドシリーズでイケメンぶりを振りまいているノーマンリーダスさん、
私は小学校の頃MGSを体験してから大ファンで、今も、昨年発売された最新作MGS5を楽しんでいるファンの一人です。
前述したようにMGSはストーリーが深く、
1週遊んだだけで本質をつかむことは難しく、
youtubeなどの動画共有サイトには、ストーリーを理解するためのup主の考察や
物語の重要要部分と思われる会話だけでMGSを構成し直した「観るMGSシリーズ」が人気動画に入るなど、
今なお、世界観の考察で十分楽しめる一級の作品に仕上がっています。
私はMGS1から5までPSP作品を除いて一通りやっておりますが
今回はMGS1について、新たに気づいた2点を語ってみたいと思います。
1点目
物語終盤、
雪原でソリッド・スネーク(以下SS)に殺された女狙撃手のスナイパーウルフですが、彼女はMGS5で登場するクワイエットだと思います。
ウルフの声がMGS5”静かなる消失”でやっと聞けるクワイエットの声そのものだったので怪しいと思ったのですが、
若い頃に「サラディンに救われた」と
死に際に言っていたことで確信しました。
サラディンとは、英雄のことです。
クワイエットにとって、ビッグボスが英雄なのは間違いないでしょう。
ウルフの言う「救われた」というのは、
クワイエットにとって、ビッグボスが英雄なのは間違いないでしょう。
ウルフの言う「救われた」というのは、
物理的にはスカルフェイスから救ってもらい(MGS5”静かなる暗殺者”で自分を殺せたのにそうしなかった)、
精神的にはバディとしてビッグボスの目になることで、
新たな生きる目標を与えてもらい救われたという、MGS5の話を指しているのでしょう。
MGS5静かなる暗殺者のクリア後、
クワイエットを殺害するかどうか、プレイヤーに委ねるシーンがあります。
あそこは、未来を決定づける(その後のウルフの人生観につながる)重要なシーンなので、あえてあのような選択シーンになっているのでしょう。
あそこでクワイエットを殺害したプレイヤーは少ないのではないでしょうか。
私は回収しました。
殺害しないという選択をするように傾けた、
そのほうがしっくりくるような気がするようプレイヤーを仕向けたあたりに、
作品の一流ぶりが出ていると思います。
話を戻して
雪原で横たわるウルフは、
SSを見ながら
「あなたは誰なの?もしかしてサラディン・・?」
と聞いています。
SSは、アメリカのスーパーベイビー法(存在しませんが技術は確立されているようです。受精卵を分割、一度に5~6個の体外受精卵を子宮に移した後、結果的に多胎になってしまった場合には胎児を間引き、犠牲にすることで残りの成長能力を増大させる手法(リキッド談))
によって作成されたビックボスのクローン人間という設定ですから、
外見が似ているため勘違いを起こしたのでしょう。
さらに
「銃(スナイパーライフル)は身体の一部なの」という発言や、
狼のことを兄弟として尊敬している点も、
DDとともにかつてバディとしてビッグボスを助け続けることができた頃(MGS5)のことがあるからでしょう。
そう思うと、
若い頃はビッグボス(ベノムだけどもクワイエットは知らないのであえて触れません)に救われ、
ともに戦い、
そしてクローンではありますが同じ人(リキッド)の元でまた武装蜂起し、
そしてまた別の同じクローン(SS)に殺害されるウルフの運命は、
政治と科学技術に弄ばれた悲惨な人生であるように思います。
SSは死に際のウルフに
「お前は狼だ。狼は崇高な生き物だ。俺のような犬ではない。」
と言っています。
SSにとっては、
死に際に自分を憐れむウルフを励ます意味でしかなかったでしょうが、
ウルフにとってこのセリフは、
若い頃ダイヤモンドドッグスの一員だったことも連想させる、
見事な救いの言葉になってるような気がします。
(まあMGS1の段階でどこまで構想されていたのかは知りませんが)
ということで、
MGS1のスナイパーウルフは好きなキャラだったので、
死んでしまった時は残念だったのですが、
クワイエットとウルフが同一人物だとすると、
かつて仲間として戦った時期があるのかな~と思えて嬉しいです。
昔味方で今は敵という設定は、MGSシリーズの共通項な気もします。MGS3のザ・ボスとかもそうですよね。
まあ悲惨な人生ですが設定は見事だと改めて思います。
彼らの人生を悲惨なものにしたのは、ほかならぬ自分たちということを伝えたい
という、制作陣の大きなテーマがあるように思います。
より良い世界を作りたいという共通の目的はもちながらも、
それぞれが敵対し、
互いに精鋭を送り込み、
最新兵器を競うように開発し続け、
殺し合いを続けている今の世界そのものの現場であるように思います。
本当に必要なのは、
いつも失った後に気づく、互いに許し合うということなのかもしれませんね。
2点目
クライマックス後、
SSは、当初目的であったミサイルなしで核を発砲できてしまう電磁誘導砲と装甲で完全に覆われたVR操縦コクピットを搭載した最新兵器(10年以上前からこれらの技術が今後実際に使われるようになると予測していたゲーム制作陣凄い)メタルギアレックスとこれらの情報を破壊し、基地外に脱出。
リキッドがウイルスで死んだ後、
自分と同じクローンで、同じウイルスに感染させられているリキッドが死んだことで、遺伝子治療の専門家であるナオミに自分の寿命についても確認します。
ナオミは、SSの寿命は生き方次第だと説明します。
その後、メリルと詩的な表現で人生観を語ります。
子供の頃見たこのラストシーンは、
さっさとメリルを押し倒すんだスネーク!と
ロイ・キャンベル大佐並に感情的になっていましたが、
今なら本当に素敵なシーンであると思えます。
アラスカの雪原で、隠してあったスノーモービルに二人でまたがります。
そしてSSは今までの人生を振り返ります。
SS「今まで自分の為だけに生きてきた。死にたくはないから生きる。恐怖に怯えることが俺の人生の動機だった。でもこれからは人の為に生きる。俺は・・君の為に生きる。それが本当の生きることなのかもしれない」
メリル「スネーク・・」
SS「俺の名はデイビットだ。」
メリル「さあデイブ、どこにいく?」
デイビット「俺達の新しい道を見つけよう」
メリル「道?」
デイビット「新しい生きる目的だ。」
メリル「見つかるかしら?」
デイビット「見つかるさ、、、見つけるさ!!!」
メリル「あれは!?(動物発見)」
デイビット「カリブーだ。ここではカリブーは生のシンボルなんだ。ここももうすぐ春だ。生きるものすべてに春はくる。(だから)希望を持つことだ。アラスカに住んで長いが、こんなに景色が美しく見えたことはない。空も海もカリブーも・・そして・・・君も。」
メリル「素敵ね、生きるって」
デイブ「さあ、人生を楽しもう」
SSは、MGS1ラストで、はじめて自分の寿命を意識したのでしょう。
今までの生き方を続けていていいはずがない。
悲惨な死を迎えたくないから殺される前に殺る。
当たり前のことのようだけど、恐怖に操られて生きているにすぎない。
これでは死に際に後悔する。
もっと別の生き方があるはずだ、と。
リキッドとの肉弾戦前にSSはリキッドから
「お前は殺戮を楽しんでいるんだよ!!」と
指摘されています。これは正しい。
メリルも、そんなSSのことを「悲しい人」として表現しています。
「ち、ちがう!」と
リキッドに対して苦しい否定をしたSSですが、
任務と殺戮のある戦場こそがSSの居場所だったのは間違いないでしょう。
そのことを指摘されて初めて認識したのでした。
自分の唯一の居場所を手放したくないから今日も任務に邁進する、みたいな生き方です。
メリルは間接的にそれをSSに伝え続けてきましたし、
リキッドは自分を正当化しがちなSSに直接それを伝えています。(皮肉たっぷりで
「素敵な人生」が人によりまるで違うという点を、物語全編を通じて表現しているのも凄いことですが、主人公の考え方が最終的に物事を美しいかどうかの基準で観るものに変化することが良いことであるかのようにラストで描かれている点は見逃せないですね。
世界平和のためには、この発想は必須なのかもしれませんね。
MGSは、アクション映画気取りではなく、生き方が大切だという点はもちろん、相手の生き方を理解し尊重することが大切だということを教えてくれる名作だと思います。
本当に強い人というのは、
戦力としてではなくて、相手を許せるかどうか、感情を超えた関係性を見いだせる人間性を持つ人のことなのかもしれないと、そんなことを考えさせられます。
MGSシリーズは、
ラストは生き方についての考察を混ぜて終えるので、
なんだか素敵な本を読んだあとのような気分になります。
ということで今回は、新たに発見したMGSの考察について述べてみました。
感想やご意見お待ちしております。
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