お金についての考察

お金って何だろうと思いまして
今回はお金の本質に迫ってみたいと思います。

これほどまでに人の気持ちを揺さぶり、
人を勝手にランク付けし、
人の幸せやトラブルの大元になる
お金とは、いったい何だろう。

結論から入ると
お金は、手段だと思います。
幸せになる手段、
自分の考える幸せを手にする手段の一つ、
だと思います。
だから、お金がある暮らしは、幸せそのものではない。
人は、お金が欲しいわけではない
お金を手にすることで手に入ると思っている何かが欲しいのだと思います。

私は
お金を手に入ることで手に入るのは「感情」だと思います。

お金があれば、
安心できるかもしれない とか
優越感を得られるかもしれない とか
興奮するかもしれない とか

お金が欲しいと思いつつ
実はお金が欲しいのではなくて
自分を幸せにしてくれると考えて信じて疑わない
何らかの「感情を欲している」のだと思います。

お金は「目的」ではなくて、
もっと前段階で
幸せになるための道具や方法
つまり「手段」として欲しいのだと思います。
お金について深く考えていくと
私の場合、どうしても最後には感情に行き着きます。

例をあげると
お金はもちろん欲しいけどなぜ欲しいのかと聞かれれば
ランボルギーニのアヴェンタドールが欲しいからだと即答するけれど
アヴェンタドールがなぜ欲しいのかと聞かれれば
アヴェンタドールを手にした時の興奮が欲しいからだと答える気がします。
別に100mを3秒で駆け抜ける駆動性能が欲しいわけではないです。
確かに私は遅刻グセがすごいのでこの性能があれば何か役立つかもしれませんが、そういう発想から来ているわけではないです。

欲しいのは感情です。
ここでは興奮が欲しい。
アヴェンタドールでしか味わえない興奮があるに違いない!(と信じている

目標額達成したらその瞬間ランボルギーニ販売店にいき一瞬で使います。前述したように、お金は、自分の考えている幸せに近づくための手段でしかないからです。
お金はただの紙です。
1万円札だって、1万円札といいつつも超低コストで生産されているはずです。
お金に価値があると思っているだけで、本当に価値を生むのは使用した後のはず。
アヴェンタドールを手にすることで得られる幸せな感情のはず。
極論すれば、
実際にほしいのはアヴェンタドールでもなくて
幸せが欲しいのだなと
やはり感情に行き着きます。

このように
「お金が欲しい」という気持ちは、
正確に自分の価値観を表していないのではないかと思います。
何らかの「感情が欲しい」のほうが私はしっくりきます。
通帳を眺めることが自分にとって最大の幸福という人はこれに当てはまりませんが!

お金をコンスタントに得るために、
やりたくないことをし続ける生活というのは、否定できませんが、
それは生活の目的ではなくて
幸せになるための切符というか、手段なんだという視点を忘れずにしたいものです。
お金の節約ばかりに目が向いて
スーパーでは値段しか見ないという生活の人は多いはずです。
私も意識してないとそうです。
なぜなら近い将来生活が不安になったら不安だから。
意味不明です。
なぜこんな意味不明な不安に思考を支配されがちなのだろうと今も勉強を続けていますが、苫米地英人さんの書籍にこんな解説がありました。
「意思が弱いから何か行動したり達成できないわけではない。意思の弱さ強さなんていう概念が間違っている。ホメオスタシスという、現状を維持することを善とするように設定されてこの世に生まれつくのだから、現状維持は安全で、脱却は危険という意識を変えられるものではない。」
んだそうです。

この解説どおりだとすると
不安を感じなくするのは無理で
そんなことに頭を悩ませていいるなら早々に諦めたほうがよくて
着眼すべきは不安をどう処理するかであって
処理の仕方のうまさ、巧妙さで
人生色々と変わってくると言っていいと思います。
この辺の考察について偉そうに解説するつもりは毛頭ありません。
選択の科学
マシュマロ・テスト
この2冊をおすすめさせていただきたいと思います。

大切なのは、
自分にとっての幸せを何に設定しているかを自覚することだと思います。
生きているうちにどんな感情を手に入れたいのかを明確にすることだと思います。
それを明確にすることすなわちゴールの設定完了ではないでしょうか。
それが難しいのはわかっていますし、現に私もコロコロかわるので悩み抜いているわけですが。
ゴールさえ決まれば、あとは努力とも思わずして達成できるのは間違いない気がします。
だからまず自分の幸せを設定する。
目的はないけど生きなきゃだしお金をとりあえず稼ぐとか言ってると
今得ることができてしまっているお金の量から達成可能な幸せに意識が向きがちになると思います。

夢を持ちなさい と学校の先生に言われた気がしますが、こういうところにつながっていってるのかなと思います。
夢を持たないと見境なく金を効率よく稼げる職業につけりゃまあなんでもいいやグヘヘヘヘみたいな人格に育ってしまうから「”最初にまず自分にとっての幸せに相当する”夢を持ちなさい」という意味だったのかもしれない。

といいつつ
子供の頃夢が見つかった人はいいですが、
私なんかは
平均して同世代よりも幸福だったら仕事はなんでもいいかグヘヘと考えがちだったと思います。
理解の早い人は別ですが、基本的には私を含めてみんな「とりあえず強がっといてあとで隠れて頑張って理解に努める人たち」だったと思います。
頑張る目的が「人に負けたくないとか、馬鹿にされたくない」だったと思います。
それ以外に考える余裕がなかったような気もします。
大人全員がグルになって子供が余計な発想を持たないように仕向けられていたような気さえします。

これ、幸せになるための努力というか定義としてはどうなんでしょう。
何がしたくて今努力しているのかという視点をないがしろしている気がします。
他人と比較して自分が上なのか下なのかを追求するというのは、疲れるものです。
なまじ結果がついてきてしまうので、今でも教育現場では普通のことなんでしょうが、楽しくない。
今この瞬間を楽しくすごすことができていない場合、何かを間違えたと考えていいのではないでしょうか。

幸せの指標を他人から自分にする!
理解まで時間がかかりましたが(28年費やしたぞ)本当に満足できる人生を送るためのポイントの一つだと思います。

自分はどういう人生を歩みたかったのか、
子供頃の夢ってなんだったかなと、
そういう視点で
本気で物事を考える勇気が人生を豊かにしてくれるものかと思います。
ちなみに小学校の卒業文集を見てみたところ
将来の夢に「サッカー選手」とありました。
最初見た時、意味不明でした。
ルールがギリギリわかるくらいで奥深さとかも含めまるで理解してません。
サッカーに関しては、点が入ったらみんなでどんちゃん騒ぎするのは面白いくらいぞと
友達に連れられていった試合を観戦しながら思ったという思い出しかありません。
選手の名前も有名所しかわかりません。
オーナーになる妄想をすることはあっても、選手に成りたいと思ったことは一度もありません。
でもよく考えてみると自分の価値観が見えてきます。
確かその頃、クラスで一番かっこいい(と自分では思っていた)共通の男子の夢がサッカー選手だった気がします。

それを目指すべきだ(どんなに下手でも志願はすべきだ
という価値観が見え隠れします。
この視点でみると
①馬鹿だと言わざるを得ないが、度胸はある
②自分の価値観より他人が認める価値観を上に見ている
ということが見えてきます。
これは重要なところかと思います。
一個目はまだ救いようがありますが、2個めはひどい。
いい子だと思われたかったのでしょうね。
でも今ならそれは、大人にとって「都合のいい子」だった気がします。
随分成長したもんだと思わせてくれますので、暇な時にでも試されてみて下さい。

私のまわりには、自分の幸せを追い求めるとんでもなくすごい人もいなくはないですが、超少数派です。

親に、国家公務員クソつまんなかったからやめたよーつまらないからやめれる人間にまで成長したよみたいなことを誇らしく連絡した時
親はエレクト寸前でした。
これは親にとっての幸せと
自分にとっての幸せが違うことで起きた化学反応なんだと思います。

はやいとこ結婚できてたらもっと違う人生になったような気がします。
仮に嫁が
「コンスタントにお金だけ稼いできてくれたら私超幸せだよ♡」
と言い出したらたぶん事務次官になるまで続けてたと思います。
出世するためだったらどんな汚い手も使ったでしょう。
その過程で後輩や部下をこき使うのはもちろんのこと、どんなに上から理不尽な要求を受けたとしても笑顔で続けている気がします。
私にとっての幸せは嫁が幸せでいることになっているはずですから。

そう考えると女って怖いですね
思考を乱してくるのは、いい意味でも悪い意味でもいつも
好みの女だった気がします
おっとこれは長くなりそうなのでまた別の機会に。

youtubeや読書会を通じて、人生が糞つまらないと絶望している若者を応援したいなーと思ってはいます。
ということで
お金の本質は、感情だと思います。
”お金なんか”に振り回される自分が意識の中で大きいとしたら
それはすぐにでもやめたい。
やめるために
自分の欲しい感情(幸せ)を満たすための手段の一つとしてお金があるという発想に変えたい。

お金の先にあるモノの最終地点が感情であっている(正解)としたら、
どんな感情を大量に得たいか、
得続けたいのか
これを極めることこそ
一度しかない人生という縛りのなかで
真に豊かな人間になるための視点だと思います。

そしてその過程を歩む勇気を持つ自分を誇らしく思いたいです。

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